どうも、しもにしです。
初ネカフェで正直戸惑ってます。。
このシステムは…若者にはもちろんのこと現代人にウケるはずですね。
ということで個人ツアー報告です。
0日目
舞鶴港までは、当初自走するはずだったのですが、杉チャリの不具合によりいきなり京都駅から輪講することに。
そして12日の午前1時に舞鶴港出発。船内で杉本は非常食食ってました 笑
小樽に着いたのはそれから20時間後の午後21時。あたりは真っ暗で寝場所を探すのに一苦労でしたね。ほぼ杉本に探させました。
やっと野球グラウンドらしき寝場所を発見すると、そこには一人のチャリダーが!関西大学の四回生だそう。初日から飯炊いてたりして、僕らもがんばらなあかんなーと、せめてテントだけでも張ろうということに。
1日目
朝6時に起きようとしていたのですが、5時にはグラウンド管理のおっちゃんが現れ、あたりは騒がしくなってました。おっちゃんと関大チャリダーと3人で世間話を30分ほどしていたのですが、なかなかおすぎが起きてこない。あきれて先に飯を炊いていたら慌てて起きてきて第一声「早いね野球部ぅ」
おまえも元野球部やろ!
そして関大チャリダーに別れを告げ僕らが向かったのは富良野方面。
初日から飛ばす予定で富良野にはギリギリでつけるかなーと予想していたのですが、おすぎがパなく遅い!ご存知のとおり北海道の道路は直前道路が多くそれもまた長いことで有名ですがその直線道路で後ろにいた杉本が視界から消えるほど、ちぎっていました 笑
結局、富良野には着けずに、近くの道の駅「鶴沼」で就寝。
2日目
この日は風が前日より弱く快走できるかと思っていたのですが、またもやジョンナムが遅れをとる!平均14、5キロで走っていたのですが、前日に引き続き視界から消えました 笑
まあ、なんだかんだで目的地である富良野に到着し、初めてライダーハウスなるものに宿泊しました。
宿泊料500円でさらにメロン付き。談話室みたいなところもあり、ライダーたちと交流していたのですが、またもやジョンがやらかすやらかす!
ここでは長くなるので書きませんが、また聞きたい人はあった時にでも聞いてください。。
3日目
今日からはジョンとは別行動。
彼は苫小牧港に18日までに着かねばならないらしく、観光したい僕にはついていけないとのこと。
この日は朝から雲行きが悪く、案の定昼からぽつぽつと雨が降ってきて、南富良野のメロン畑で雨宿りさせてもらうことに。ここでもメロンをご馳走になりました。
ここで渋っていてもやむ気配はないと諦め先を急ぎます。すると行く手に峠が…。これが意外に長かった。。必死のパッチでなんとか登りきりました。
それを越えると本日の一番の難所、狩勝峠に!雨はやみつつあったのですが、あたり一面に霧が出だして、頂上は視界ゼロで本気でこけそうになりました。。
あとは下って直線60キロ!
帯広には3時半につき温泉で疲れ切った体をいやしました。実に走行距離155キロでした。
4日目
当初は襟裳は遠すぎるのでアプローチだけにして次の日に上る予定だったのですが、朝に気持ちが切り替わり、襟裳を目的地にすることに!!
広尾までは難なく走れたのですが、広尾から襟裳岬までを結ぶ「黄金道路」が行く手を阻みました。
海抜4〜6メートルの道が30キロも続き、至る所に津波注意の看板が…。さらに道路には津波用なのか排水溝も完備されており路面には水溜りが多数…。もう二度と行きたくないです。。
この日はちょうど襟裳町でお祭りが開催されていたらしく、おっちゃんに呼び止められ参加することに。
謎の酒を煽られ、千鳥足に。。結局民家にとめてもらうことになりました。
5日目
漁師の朝は早い!3時にたたき起こされ襟裳を後にしました。襟裳岬では横風風速20メートル、さらに霧で視界ゼロという泣きたくなる状況に。
幸い朝早かったためか、車がほとんどなく、知らず知らずセンターラインを飛び出していても轢かれることなく襟裳を抜け出すことができました。
海岸沿いをずーっと走っていたのですが、思いのほかアップダウンが激しく、萎えました。
すると、苫小牧まであと30キロの看板が!あとはずっと下りと平坦道でらくらく3時半には苫小牧につくことができました。ジョンナムに電話をかけてみると彼は夕張にいるそう。なんと、彼より先に苫小牧についてしまった!
嬉しくなって、意味もなく苫小牧を走り回ってました。実に走行距離215キロ!
夜になって杉本と
感動の再会!!
一人で走ってみて、やっと杉本の大切さにきづく・・・ことはやっぱりなかったですね。
しかし、初一人旅はお互いいい経験になったと思います。この経験を糧に21日からのなだれ込みも頑張ろうと思います。
では皆さんごきげんよう!長文失礼!!